川崎市市民ミュージアム復興応援特別展「川崎にまつわる鉄道」展
この記事は、2020年3月29日に協働・連携ポータルサイト「つなぐっどKAWASAKI」で公開されていたものを転載したものです。
東海道本線は川崎駅に停車しなかった?南武線の「快速」運行は過去にもあった?「クモハ12」の「クモハ」って何のこと?そんな疑問にも答えてくれる鉄道写真・資料展が2月25日から3月22日にかけて、川崎市国際交流センターのギャラリーで開かれました。
川崎国際交流センターが中原図書館の協力を得て、同館が所有する貴重な資料の中から川崎にまつわる鉄道写真を市民に紹介しました。
東海道本線
1980年10月のダイヤ改正まで、東海道本線は川崎を通り過ぎていました(写真の時刻表をご覧ください)。「川崎駅を利用する乗客数が増えすぎたため」と聞くとそれこそ『なぜ』と問いたくなります。
昔から、東海道本線は京浜東北線に対する快速列車的な位置づけです。当時、ほとんどの駅で東海道線を利用する人が多い中、けた違いに乗降客数が多い「川崎駅」の利用者が東海道線に集中すると、停車時間が長くなってダイヤが大幅に遅れることが懸念されたため、東海道線を通過させ、比較的すいている京浜東北線や横須賀線の利用を促していたようです(展示資料の記述から)。
東海道本線の電車が川崎に停車するようになったのは、線路の利用方法など現実的な工夫・対応が可能になったことからだそうです。
南武線
1969年12月15日から1978年10月1日まで、南武線は川崎~登戸間において快速電車が運行されていました。一度廃止となりましたが、2011年4月9日から再び運行されています。
また、2014年10月4日からは新型車両のE233系8000番台が投入され、お下がり車両のイメージの南武線に新しい時代が到来しました(展示物ガイド資料より)。沿線人口の増加で南武線の利用者が大きく増えていることを物語ります。
クモハ12
「クモハ」と聞いて、鉄道ファンならピンときますね。車両の型を表すとき、この暗号のような文字列を使うのです。
「ク」は制御車のことで、運転台がある車両(たいていは先頭車両)を表します。「モ」はモーター駆動車のことで、文字通りモーターが付いている車両を表します(意外にも、全車両に付いているわけではないのですね)。「ハ」は「使用目的」で普通車を表します(グリーン車は「ロ」。イロハで等級を表します)。運転台があり、モーターが付いている車両(普通車)は「クモハ」となるわけです。そして後ろの数字は型番を意味しています。これ以外にも、車両の側面には「クハ」「モハ」といった文字が書いてあるので、探してみてはいかがでしょう。
鉄道が残してくれたもの
展示会場には資料としての「ガイド」や「参考資料」が置いてあります。川崎にまつわる鉄道の歴史は幕末の頃にまでさかのぼり、産業社会の変化を反映する厚みと重みを感じさせてくれます。また、鉄道の時代が残してくれたものが新しい時代をデザインするために利用されています。今、川崎市が緑化と最先端技術研究の拠点として再開発している幸区南加瀬にある広大な土地は、かつて「新鶴見操車場(貨物用)」でした。全長5.2Km・面積24万坪(約80ヘクタール)の巨大さで、1929年(昭和4年)当時東洋一の規模を誇り、最盛期、一日当たり5000の車両を操車したと言われています。
川崎市市民ミュージアムの復興
今回の鉄道展は、これまで川崎国際交流センターと川崎市市民ミュージアムが連携して実施してきた、美術館以外での5回目の企画展です。昨年10月の台風19号の被害によって、市民ミュージアムの収蔵庫が甚大な被害を受け、この2月から予定していた企画展の開催が危ぶまれていましたが、中原図書館の協力により、今回「川崎市市民ミュージアム復興応援特別展」として開催することができました。
市民ミュージアムでは今も復旧作業が行われています。貴重な資料を再び多くの人が目にすることのできるよう、1日も早い復興を願っています。
これまでの川崎市国際交流センターと川崎市市民ミュージアムとの連携ミニギャラリー展は以下の通り
29年度:1.外国人が見たニッポン~明治の日本人~展」
30年度:1.イギリス人が見た、開国に至るまでのニッポン展」
2.「ジャパン・パンチ~日本の漫画の源泉~展」を
31年度:1.「ポスター・雑誌・資料で見る1964 TOKYOオリンピック」展
川崎市市民ミュージアム (kawasaki-museum.jp)
問い合わせ
川崎市国際交流センター/公益財団法人川崎市国際交流協会
電話:044-435-7000
ファクス:044-435-7010
メールアドレス:kiankawasaki@kian.or.jp